芸術の秋、食欲の秋と来たら、やはりここは 「「「鉄道の秋」」」 である。
10月最初の週末、キハ40とキハ54を使用した臨時列車・秋たびそうや号が走るとの報を受け、我々も秋の気配を求めて出撃。
オタクと機材をお馴染み奴隷船・ジ獄号に"積載"して道北へと向かった。
────土曜日────
むせ返るような暑さと硬い光線から解かれた世界はまさしくオータムフェストならぬ"オータク"フェストである。
紅葉も北上するに連れて、完全体には遠いもののウォーミングアップが始まっている様子が見られた。
旭川まで道央道でワープして宗谷本線の線路傍まで獲物を先回りして待つ。
下り便の走行時刻と光線の角度がイマイチであったので南線エリアはほどほどに、北線エリアで本気を出そうという作戦を取った。
北線エリアからと言いつつちゃっかり塩狩峠の南側から試合開始。今回はなるべくヘッドマークと黄色いヨンマルが写らぬように。何らかの思想があって初めて何を撮りたいかが見えてくる。
今回はこいつをお目当てに稚内までよろしくやっていくのである。土曜に下り便、日曜に上り便という行程。
途中の市町村の代表駅ではその土地土地の自治体のアピールタイムを含めて20分ほどの停車時間が用意されているダイヤ、土曜と日曜とで停車駅も違うので油断していると足元をすくわれる。
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思ったよりスジ速えなオイ!!
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しかしこの列車、形は変われど急行列車であることを忘れてはいけない。
途中駅のまとまった停車時間を使えば変な走り方をしなくても追っかけはできるとはいえ、けっこうチャッチャと走っていくダイヤである。
"珍"しい"走"り方を避けるのは大前提だが、そのぶん我々も撮ったらすぐに撤収して次に向かわなければならない。
1日の本数が少ない線区とはいえ、定期列車との合間を縫っている上に各駅で停車時間を取っているぶん巻きたい意図があるのだろう。
やっぱり宗谷急行色を纏っているんだから急行として動いている姿が一番カッコいいのだ。
朝から道内各所は爽やかな秋晴れ、一枚一枚晴れカットが積み重なるたびに肩の荷が少しずつ降りてゆく感覚があった。
昼食と給水の時間を取れないまま進む撮影、光線事情と時刻を加味してようやく道中のセコマにピットイン。朱色一色の気動車に想いを馳せる形でタラコおにぎりを頬張り試合再開。
最後の最後は終着駅手前の海沿いにて。大体の位置はわかっていたものの、写真から見てもう少し向こうの砂洲が正解だったらしい。前方に戦士達の姿が見える。しかしもう列車は構図の中までやってきている。
我々は後ろから彼らの勝利の歓喜を見届けつつ、今自分が撮れる構図での最善を尽くそうとシャッターを切った。
朝から晩までなんとか頑張り抜くには理由がある。フォロワーたちが大集結した道北の秋口、稚内まで撮り終えた後にフォロワーオススメのお店へと吸い込まれた。
奴隷船の船長たる私はジュースで乾杯、タコのしゃぶしゃぶをキメて達成感。この日は稚内にて投宿。
チェックイン後に改めてオタクと乾杯、良い写真が撮れた日に投宿地で飲むビールは五臓六腑に素早く沁み渡った。
────日曜日────
起きる時間よりちょっと早めに目が覚めた。前日買っておいた朝食を食べてチェックアウト、秋たびそうや号の出庫シーンを待ち構える。
ここからが二日目の本戦だ。
稚内から旭川までの死闘が幕を開けた。
どちらかというと日曜日こそ晴れてほしかったのだが、やはりそこは難関で知られる宗谷地方の天気である。しかしちょっと前までの天気予報の割には善戦した方ではなかろうか。
いずれにしろ曇りの日には曇りの日なりの動き方が求められる。前日に多少なりとも晴れカットを得られているためすんなりと割り切ることができた。
淡々と戦果だけを載せている投稿になっているが、実地ではスマホでパチリしている余裕も無い。一つショバに着いたら次の撮影地を考える。
これだけ見ていると無計画で行きあたりばったりだと思われるかもしれないが、現地に行かないとわからないこと、行って初めて見つけることも多い。
数ヶ月行かないだけで現地の様子も変わるし、その時々の天候とかダイヤの状況も加味する必要もある。画面の中でなくリアルの世界で動くことの難しさの一つであろう。
だいたいの撮影地は頭に入っていれど、やはり最終判断は現地に着いてから最善のものを選択することになる。これが車移動の最大のメリットだろう。
ラッセルのときもそうだが、この作業を繰り返していくうちに気づいたら終着まで来ているという感覚が正しい。体力的な負担は終盤頃にやってきて、撮り終えたあとにドカンとのしかかって来るのだ。
………そういえば明日早くから仕事でさ〜〜……
助手席からの一言にハッとした。そういえば今日は日曜日である。あまりにも怒涛の戦いが続いていたため日付を越した感覚を忘れていた。あわや私も翌日の仕事をネボスケするところであった。そうとなれば長期戦を嫌う我々の思惑も一つ。奴隷船・ジ獄号に道央道を走り切れるぐらいの燃料を継ぎ足した。
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…………いや〜しかし、一泊しても稚内往復はキツかった!!w
来る冬の戦いの予習という意味でも有意義な出撃、冬に向けた決意を新たに秋たび宗谷の闘いは閉幕した。
走り方を含めて無理な動き方をしないというのが大前提であるが、皆様も撮りに出られる際には時刻や天気だけでなく体力のやり繰りにも気をつけていただく思う。
割愛したカットも数多く、またどこかのタイミングで載せていきます。