津軽海峡が在来線だった頃。初めて北斗星に乗る機会を得られたとき、出発日の1ヶ月前に窓口で切符を手配した翌日に廃止報道が出てひっくり返ったものである。
それ以来、1ヶ月前の朝10時にみどりの窓口に並んでも北斗星と再会する機会を得られることはなかった。
はまなすはギリギリB寝台上段を取れていた。はまなすはブルトレとは言わないという論争もちらほらと見られたが、開放2段式寝台に乗れるんならどっちでもいいやという気であったのはココだけの話である。
皆がご存知の通り、もう10年近く前の話である。高校1年生の夏のカット。年がバレる。
当時のツイッターの先輩鉄諸氏(FF外)が「あ〜北舟岡曇るよ笑」と薄ら笑いしていたのがその場にいた一同の耳に入った。私含め居合わせた同志たちのスイッチが入ったのか、オタクの強い強い念が太平洋のお天道様に炸裂したらしい。
通過1時間ほど前から談笑していたが、下馬評を覆しピン電含め北斗星の通過までちゃんと晴れておりました。めでたしめでたし。
自分の中でも北舟岡という場所は縁起の良い場所として頭の中に記録され、その数ヶ月後には再びその地で勝負をすることになったのである。