特集・組写真

自己紹介と簡単なポートフォリオ

自己紹介と簡単なポートフォリオ

気が付けば私の周りにも自前でホームページを作る方が増えてきたように感じる。
皆さんガッツリ作り込んでいて、エフェクトまでついたおしゃれな要塞を築かれた方もおられるようで見入っており……。
私も参考にと各氏のサイトを拝見させていただき、自分のサイトにはプロフィールのページはあるけど、自己紹介や自分自身の創作価値観などを表明するポートフォリオ的な投稿をしていなかったことに気づいた。

そんなわけで、私のホームページができてから3年弱。ようやくだが自己紹介的な特集投稿を作ってみよう。

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横田 幸多朗(よこた こうたろう)と申します。
埼玉県比企郡川島町出身。東京都清瀬市にも住んでいた時期があります。
現在は北海道札幌市に住みながら、実家と行ったり来たり、あっちで撮ってこっちで撮って…と、写真家を自称しながらうろうろしております。

書類的な経歴自体は既存のプロフィールページをご覧ください。

ご覧いただいている通り、私は鉄道写真を主に撮影しています。
守備範囲はホームグラウンドの札幌市電、路面電車を撮る入口になった函館市電、最果て志向の目指すところであるJR北海道各路線など。
そして実家に帰ればひたすら東武線を撮っております。
守備範囲外でも、気が向いたところや、貸切フォトランなどで機会を作れた場所へ積極的に撮りに出ています。



札幌市電・243号車
私が札幌に住み始めて間もないころ、引退が近い243号に復刻塗装を施して有終の美を飾らせようという有志のクラファン企画と出会い、応援したことをきっかけに、243号車が鬼籍入りした今でもその時の皆さんとの親交が続いている。電車がつなぐのは場所だけでなく、人と人をつなぐこともあるのだと感動した。




函館市電・ハイカラ號
疫病禍真っ只中での大学の卒業制作。他学科の授業で教わっていた先生の一言に背中を押され、日没後にハイカラ號を一人で貸切らせていただいた。
後に行われた大学の卒業制作展にて「写真学科卒展賞」を受賞。卒制で出した写真群の中の、象徴的な一枚だ。




日本で一番猛暑の埼玉から引っ越してきた私にとって、やはりこれを仕留めずに北海道では暮らせない。
JR北海道のラッセル列車である。夜戦昼戦ともにタフな戦いであるが、雪と戦う列車たちとの対峙を楽しみに私自身も日々を生きているフシがある。






実家に帰っても撮りたいものはある。正確には、一度地元を出てから改めて地元の良さに気づいた形だ。
私が生まれる少し前の、自分の色を持っている東武の列車たちが大好きなのだ。
少し遠景で狙ったとしても、白が基調であるカラーリングは風景や情景に溶けきらずに自己主張してくれるところが良いのだ。





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フェリーに乗って東北地方へ遠征することも。
ラッセル車の勇姿はもちろん、雪が解けてからも貸切企画にお誘いいただいたりと、近年では遠征機会が増えている。










せっかく普段行かない場所へ行くきっかけだから…!ということで、西日本方面へ行くことも。
トラムも普通鉄道も、寒地も暖地も国内ならできるだけ(懐が持つ範囲で)積極的な姿勢で居続けたいと思っております。
















頻度は低いが、リバーサルフィルムでの撮影も好きである。
撮影の際に余裕がありそうなら(+晴れそうなら)伝家の宝刀であり代打の神様、ペンタックス6×7を起用することも。

作品を投稿する際、調子が良ければ奇文怪文とともに投稿することがある。文才の無駄遣い(※要出展)ということでご笑覧いただければ幸いだ。
このように、投稿の際には文体があまり堅苦しくならないように努めている。作者は、観る側の皆様にはラフに、フランクに楽しんでいただきたいのだ。

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ここからは作者が鉄道や北海道にハマっていったきっかけや、札幌に住むようになった話、そして撮りたい写真の方向性・価値観をメインに読んでいただく。


【鉄道にのめり込んだキッカケ】

………と言いながらも、鉄道にハマったのは「気づいたらこうなっていた」からとしか言いようがない。幼少期に住んでいた西武沿線の街で黄色い電車を見ていたとか、高崎線や東上線のちょっと昔の顔ぶれが頭に残っていて、その残り香を追い求めていたとか、強いて言うならばそういうざっくりとしたものだろうか。


中学生になってからは鉄道が無い町・埼玉県は川島町に住むようになる。高速道路は通っているものの、公共交通機関が心もとなく、免許を持てない中高生にとってはかなりハードモードな場所で過ごしていた。都会に一番近い農村こと、四方八方に田んぼが広がる町は、都会の感覚で考える「田舎(=郊外の住宅街)」を想像していた人たちが皆目を丸くするほどだ。

だからこそ、例えば津軽鉄道や札沼線の新十津川周辺のような、本数が少なくとも開けた田園地帯のど真ん中に線路が通っていて、列車がやってくるという絵面は羨ましくてたまらないものだった。


話はいたってシンプルだ。電車が無ければ電車は撮れない。

せっかく開けた地形とイイ感じの築堤が沢山あるのに、肝心の線路と列車が通っていない。こんなにもどかしい話はなかなか無い。

鉄道が無い街で育ったからこそ、せっかく線路と列車があるのに鉄道を除け者にするような写真にはウンザリするのだろう。

せっかく鉄道があるところに目星をつけて出かけているのに、鉄道が無くたって撮れるような写真を撮るのか?



鉄道が身近な幼少期を過ごしていた自分にとって、車に乗らなければ最寄り駅まで行くのすら億劫な場所で住んでいたら……そりゃ拗らせてオタクになってしまうのは想像に容易いことだろう。幸いにして母親が私のタイミングで駅まで送迎してくれていたため、撮影や遠征に出かける機会を作ることはできていた。もちろん車の免許は大学に入ってからすぐに取った。


【北海道にハマったきっかけ】

中学生のころ、たまたま手に取った全国各地の廃線跡を取り上げた文庫本サイズの本が一番の根っこのところだろうか。特に北海道の各廃線が目に留まった。

家のパソコンでその本に出ていた路線を検索する。その路線が生きていた頃の写真がたくさん出てくる。名前も知らない人たちの個人サイトにたどり着いた。

時間が経ったフィルムをスキャンしたのか、ちょっと色あせた写真の中に、オレンジとクリーム色の煤けたディーゼルカー。長閑な景色、駅とその周りの風情、フィルムと画面越しにも伝わってくる澄んだ空気感。気づいたらそのサイトの隅から隅まで見て回っていた。

その時から、私が好きな車両は、蒸気機関車でも華のある特急列車で新幹線でもなく、キハ22の一般色。自分が知る由もない時代の残り香を無い物ねだりする、長い長い迷宮の道が開けたのであった。


話の流れで〜このサイトを作った話も。

あれから時が流れて15年ほど。

今ではSNSによる発信が主流となっているが、SNSというのは各プラットフォームの中の人たちの一存で良くも悪くもすぐに変わってしまう。それは私にとって好ましくない。そしてなにより、あの頃見ていた名前も知らない先人鉄の個人サイト群は、各ドメイン元のサービス終了により一網打尽に消えてしまっていた。

それならば。自分でドメインを取得して個人サイトを立ち上げてみようではないか。

各SNSと違い、いいねやらインプレッション数(閲覧数)に気を取られることなく、自分が載せたいように載せられる、私本意のプラットフォームを作りたかったのが一番の理由である。

そしてその延長で、私のこのホムペが、どこから見てるかもわからない、名前も知らない閲覧者の果てしない迷宮の扉が開くようなことがあれば……あんまりオススメしないけど、何かのキッカケになってくれるようなら嬉しい。そして私のサイトは簡単に消えてたまるかという意思のもと、yokota-kotaro.comというドメインを取得した。

このサイトの方向性は、シンプルであること。ちょっと読み込みが重いとは思うが、エフェクトやアニメーションをつけてオシャレにするよりも、なるべく写真と文章に集中してほしいという願い。もちろん参考にさせていただいた個人サイト様もいくつかあるほか、やはりあの頃見ていた名前も知らない先人鉄各氏のホームページ群からの影響も多くある。

平成前半頃によく見られた、シンプルなホームページをイメージしている。

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当サイトの作成にあたり、札幌移住後に知り合ったフォロワーさんに依頼して、ホームページを作成していただきました。

(当サイトの一番下にこのサイトを作っていただいたポータブルポートさんの表記があります)

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【札幌に住むようになったキッカケ】

さて話の軌道を修正しよう。鉄道の無い町で育ったオタクが、ついに遠征だけでは飽き足らず住む場所まで変えてみた話である。

毎日の通学では電車に乗る前、あるいは乗ったあと、家から駅まで車で20分の運転が必須であった。

もう少し、というか、歩いていける範囲に電車があってくれれば。もっと出撃機会を増やせるのではないか。


その頃の私は路面電車にも手を出しており、函館市電や札幌市電の土地勘に磨きがかかっていた。それに加えて、なんとなく就職活動へのモチベーションも上がらない。

………無理に東京にこだわる必要無いんじゃねえのか?


そう思ったが吉日、早速札幌や函館で働き口を探ったところ、見事札幌でのご縁をGETした。そしたらいっぺん札幌に住んでみて、気が済むまで写真をやってみようではないか。なに、電車に疲れたら野球だってあるぢゃないか。ガハハwww!!


そうこうしているうちに、思い切って「FA宣言」をしてから4年が経とうとしている(投稿執筆2026年10月時点)。

大学時代まで付き添っていたワガママボデーは多少シュッとしたようで、やはり歩いていける範囲に電車があることは出撃機会の増加に直結するし、運動量も増えたりと1石n鳥であった。

先ほども同じことを書いたけども、地元を離れて少し経ってから、地元の良さや撮るべき被写体に気付くことも出来た。これも遠方で一人暮らしを始めたことで得られた大きな知見である。



【撮りたい写真の方向性・価値観】

これは少し前の貢で読んでもらった通りである。

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───話は至ってシンプルだ。電車が無ければ電車は撮れない。

せっかく鉄道があるところに目星を付けて出かけているのに、電車が無くたって撮れるような写真を撮るのか?───

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大前提として、私は電車を撮りたくてカメラを持ち始めた。

普通鉄道や路面電車などガッツリ撮りまわってきて、電車が主体な人や情景が撮りたい人、色んな人の考えやスタイルを見てきて、自分自身でも思うことが増えた。


その上で、私は鉄道写真を撮る上ではあくまで電車が主役であることが最低条件であると考えるようになった。

私はトラム鉄だけど正直言うと編成写真のほうが好きだし、そのへんは各々好きなように撮れば良いと思う。確固として正しいと言い切れる答えは無い。


ただし、私自身は電車を撮りたくて札幌に来たということを忘れてはいけない。もちろん鉄道以外を撮ることはあるけど、鉄道を撮る上での信念はぶらさず。

自動車教習所で教わったあの言葉を今ここで。


───軌道敷内は電車優先である───


あくまで私としては、鉄道写真を撮るにあたっては鉄道のある風景ではなく「列車があっての鉄道写真」が撮りたいと常々思っている。
鉄道が主役であることを第一に、写真の中の力関係はなるべく鉄道車両がメインになるように。
難しい言葉を沢山並べて見る側に何かを想起させるような見せ方や、周囲のストラクチャーや人々の姿に頼りきりになるのではなく、あくまで電車が一番であること。
ここだけは揺るがないようにという土台や自分の中での決めごとを定めておく。
もちろん撮っていくうちに、ピントを置く位置や、電車かそれ以外かを流さなきゃいけない取捨選択の場面に遭遇することも沢山あるけど、そういうときはもちろん電車が目立つようになる選択を優先するのだ。

そしてやっぱり、繰り返しになってしまうが、私が出撃機会を求めて住む場所を変えた経緯を考えれば、こんなところで邪念を持つのはナンセンスであろう。
もちろん私にも周囲のストラクチャーの力を借りることはあるけど、あくまでも「力を借りる」の範囲に収めることが重要だ。

私が札幌で毎年行っている個展のキャッチコピーには「電車と友達になろう!」という言葉を入れている。観に来てくれる皆さんが電車に親しみを持ってほしいという願いはもちろん、自分が作品作りをしていく中でのスローガンでもあるのだ。
電車があっての街、電車があっての写真。目の前の電車と友達になるところがスタート地点。
迷ったら一回原点に戻ってみよう。
原点回帰は何度したって構わない。

「目の前の電車と向き合わずして何が本質だ?」

鉄道があるからその場所に行く。線路があるからその場所に行く。撮りたい何かがあるから行く。
よく路面電車やストリートスナップを撮る人たちの間で言われがちな、鉄道と人との関わりや、周囲との距離感という要素は私にとっては重要ではなく、そういう方向性で撮りたい人たちやアプローチが得意な人たちにお任せしようと割り切っている。
私が本来向き合いたい対象の軸は鉄道にあって、そこから派生して撮影を重ねていくうちに周りのあれこれを吸収して行くのだ。

ただし、その土地土地の歴史や鉄道にまつわるエピソードを頭に入れておいて損にはならない。引き出しとして学ぶことに越したことはないし、実際にヒントを得たことも数多くある。そのバックグラウンドの要素と電車優先のスタイルが噛み合う瞬間は必ずある。

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さて。私は鉄道以外に野球にも強い関心があり、よくホームページだけでなく展示の場でも野球に例えた文章を書くこともある。

ホームランバッターや球が速いピッチャーだけではチームは作れないし、優勝はできない。小技が使える選手や足が速い選手、守備職人、扇の司令塔。七色の変化球を操る投手、コントロール重視の投手、長いイニング投げられる投手、リリーフ、火消し役、敗戦処理、クローザー。

写真でも同じだ。展示や写真集を作るにあたって組写真(=チーム)を構成するとき、一枚一枚それぞれに役割や撮り手(監督)の意図が存在するわけで、同じタイプの写真だけでは良いチームは作れない。それは電車が主役の写真が100%であっても、スナップ調の写真が100%であっても同じである。

ただ、撮り手によってやりたいことの方向性や意図が違うため、どういうチームを作っていきたいかで必要なピース(写真)や配分も当然変わってくる。

そういった中で、じゃあ横田という撮り手兼選手兼任監督は、どう考えるのか。
真っ直ぐとパワーで観る側をねじ伏せるような作品群を作っていきたいと考える。
難しい言葉やそれっぽい横文字を並びたくるよりも、プリントの中から160キロのストレートを投げつけるような、炎の作品群で正々堂々と勝負したい。

見る側の人に楽しんでもらうためには、まずは撮り手が楽しんでいることが絶対条件。中途半端でつまらない面持ちで出してる写真なんて、見る側はもっとつまらない。世間体を気にした写真を作っているときの私の顔は、いかにもつまらなそうな表情をしている(らしい)。
まずは私自身が、私本意で楽しんで取り組んでいることが絵面から伝わってくるような写真でチームを作っていきたい。

こんなに長々書いておいて申し訳ないけども、ボリュームが多過ぎると見る側も作る側も大変だし、ノーミソがショートしてしまうものだ。実際この投稿も着手してから2ヶ月ぐらいかけてゆっくり書いている。

まずは肩の力を抜いて、フランクに。
でも時々元を正したり、原点に戻ったりしながら、とにかく目の前の電車と友達になって、時に真っ向勝負をして。たまに野球も撮ったりして。
ときどき鉄道以外のものを撮るのもまた新しい発見が見つかったり、良い流れが掴めたりすることがあるのでバカに出来ない。

電車を撮ってるときの経験と勘を野球場に持っていくこともあれば、野球場でとにかくシャッターを切りまくることでリズムが生まれて、鉄道の方に活きてくることも。
そのへんの話はまた別の投稿で書ければと思う。

この先色んな撮影や展示発表、あるいは意見交換や対話を重ねることで考え方や方向性が変わってくることもあるかもしれない。



でも、なんだかここ最近は、直球勝負でビシッと決めていくスタイルの人が少なくなってきていると感じることが多いため、私は敢えて闘志を燃やしてぶつかって行くスタイルを続けてみたいと思う。



だから私はこれからも、常に原点を忘れずに。
それではみなさんご一緒に。

───────電車と友達になろう!!!